雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

人はパンのみにて生きるにあらざれど

「人間には二種類、生きるために食べる者と食べるために生きる者とがある」とは、今は亡きロシア語翻訳者・米原万里さんがご自身の著書に書かれたことですが、これはまさしく卓見と、思わず深く頷いたものです。

世の中、どちらが多数派なのかは判りませんが、私個人は、食べるために生きています。(断言)

旅先でたまの贅沢に食べる懐石やランチも、休日の寝過ごした朝に自分で作る適当な丼飯も、まずはとにかくおいしく食べる。インスタントのラーメンだろうと、空腹で食べるそのとき、それは何にもかえがたい無二の美食と化すのです。

たまに食通ぶりたいのか、ただ格好をつけたいだけなのか「あそこの料理はいまひとつだ。俺なら✖️✖️に行って食べる」「○○は味が落ちた、あんなところで飯を食う奴の気がしれない」などと得意げに云う人がいますが、こんな人とは一緒に食事しても楽しくなさそうですね。おいしいものを食べられる店に行っても、おいしいねと互いに云い合うのでなくて、その店を選んだ俺のセンスSUGEEE‼︎‼︎と、褒め称えることを強要されそうで、だったら場末のスナックやラーメン屋で、店主や他のお客とバカ話してケラケラ笑える方が、食べたものもちゃんと栄養になりそうな気がするのですよ。

とにかく、食べることに関してはそれなりに執着があるもので、映画など観ていても、何かしら食べるシーンが気になります。観ていておいしそうな撮り方をしている監督は、きっと食いしん坊なのではと思います。「カリオストロの城」序盤の、下町の食堂のパスタに「ラピュタ」地下坑道の目玉焼きオン食パン、「トトロ」のお弁当とばあちゃんの畑のトマトときゅうりなど、宮崎駿作品は鉄板だらけですが、私のマイベスト「食事シーンをうまそうに撮る映画監督」は、押井守監督です。

まず「紅い眼鏡」の、月見の銀二。それから、衝撃的だったのが「AVALON」の配給食堂…でいいのかしら? と町の食堂の、スタンナが食べながら話すシーン。お行儀悪くてきったない食べ方なのに、有無を云わさぬ「絶対にうまい」感。おいしいーとか気取る余裕すら吹き飛んで、腹の底からうまい‼︎‼︎ と叫ばずにいられない程のうまさ、と云えば、ご想像いただけるでしょうか。

「アサルト・ガールズ」では藤木義勝さんの、独りキャンプでフライパンの目玉焼きを食パンでグルグルしてそのままかじるとか、お腹空いててカタツムリ食べちゃうとかも、食べるものにまっすぐ向き合って全力で味わっている感じがバッシバシ伝わるんです。「イノセンス」の、トグサ君が択捉でまんじゅう食べてるのも、何となく出てくるだけなのに妙にうまそう。食べたい。

漫画でも、食べ物をおいしそうに描かれると、つい食べたくなりませんか。水木しげる先生の漫画は地雷だらけです。日常的な、身近な食べ物が、とにかくおいしそうなんです。まんじゅうとかラーメンとか、どこの激戦地かと思うくらいの広大な地雷原ですよ。

小説にもありますよ。あまりにおいしそうで、半ば嫉妬のあまり夜中に悶々としたのが、佐藤亜紀たん(敬愛とリスペクトを込め敢えて亜紀たん)の「天使」。主人公・ジェルジュが父親に連れられて行ったレストランで、白アスパラを食べるシーン。茹でた白アスパラに、おそらく溶かしバターのソースをかけただけのシンプルな料理なのに、茹で加減とソースの絶妙さ、一緒に味わうコンソメスープと蟹、白葡萄酒とのコントラスト! 嗚呼いまだ廻り逢えぬ白アスパラよ、御身にまみえるはいつの日か。

何だかお腹が空いてきたので、もうこの話はこの辺でやめましょう。

コンビーフにマヨネーズつけて炊きたてごはん食べるの最高よね‼︎‼︎(やめろ)