人間誰しも、理想の住まいについて、多少なりヴィジョンがあるかと思います。
絶対に都会の、おしゃれな街に住みたい。
郊外で構わないから、交通の便と環境のよいところに住みたい。
住まいに求めるのものは人それぞれと思いますが、勿論私にもあります。
映画館と本屋、テレビゲーム好き故に電器屋がないと生きていけないので、昔は街の中でないと生きていけないと考えていました。
今はどうなのかって?
今私が求める理想の住処は、まず、空気がきれいな海べりか山の中であることですね。
突発性難聴と咳型喘息が持病で、特に喘息は風邪をひくと必ず半年は定期的に通院し、高い吸入薬を処方されるので、空気はいいに越したことはないですね。
それから、どうも病弱らしいことをここ2〜3年で薄々自覚してきたので、温泉も欲しいところ。
家と庭が広くて、ホームシアターと広い書庫兼書斎があれば、それで満足。小型美魚好きとしては、でかい水槽を置けるように床が補強されていれば、もう云うことはありません。
買い物については、どんなに辺鄙なところでも、それ程不安はありません。収入と住所とある程度整備された道路と快適なネット環境さえあれば、宅配便屋さんは何処へでも通販商品を届けてくれます。
どうしても入手が難しいものは、ひと月ふた月に一度くらい都会に出て買い物をすれば足りるでしょう。
普段の生活を思い起こせば、仕事に出て、帰りに精々コンビニやスーパーでおやつでも買って帰るくらいで、休日だって、スポーツジムに行くくらい。ごくたまに、下町の寺へ母方の祖父母の墓参りをしがてらぶらぶらと街歩きしたり、映画を観に行ったりすることもありますが、それだって、そうしょっちゅうという訳でもありません。贅沢をしなければ日常レベルなら、半径1キロ2キロで生活の大半がまかなえてしまうのです。
そこに気づいたときに思いました。日常の生活圏は置くとして、その外で行動する日に都心部なり観光地なりに足を伸ばすとき、それに対し必要な手間だとか労力だとかは、郊外だろうと人家もまばらな山の中だろうと、本質的なところで大した違いはないのではないか? 表面的な時間や体力といった面での消耗はあるだろうけれど、まず「よし出かけるぞ」という最初の一歩を出して流れに乗る億劫さ、これを乗り越える、その壁はどこに住もうと変わらないのだし。
なので、もう開き直ることにしました。空気と温泉、広い家と庭、書庫、電力とネット環境。これだけあれば充分です。近所付き合いという問題は、なに、どうせ仕事と自宅を往復する他は、食料の買い出しくらいで、ほぼ読書やゲームにかまけて引きこもるのです。挨拶は流石にきちんとしますが、そのくらいにしか関わることもないでしょう。
果物と魚、米がうまければそれでよし。神、空にしろしめし、世はなべて事もなし。
などと好き勝手なことを云っておりますが、スイス銀行に一億ドルくらい預金がないとできない生活なのは解っております。
とりあえず地道に、明日出勤してきます。
嗚呼、こういうシックな館で暮らしたい。