雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

やっぱり映画はただ観るだけで終わるのってもったいないよな

超ユルッユルの休日。

三度寝をキメたにも関わらず9時半過ぎに起き出して、洗濯して飯食って洗濯物干してお茶淹れて、気がつくととうらぶ大阪城周回ツアーに参加しながら、押井監督と笠井潔先生の対談本を読みふけってました。

日中そんなことしてたもんだから、今ロシア決勝の見逃し配信観ようとDAZN立ち上げたら、中継時間が3時間半。また荒れたのか。

ネタバレ回避のためにF1速報系のツイートは目をそらしてたので結果はぼんやりとしかわからないんだけど、セーフティ入るかねむみがすさまじきことになったら寝る。続きは明日。

明日は仕事が終わったら、その足で眼鏡を受け取りに行かなくては。

しかしメルセデスのトトさんとフェラーリのアリバベーネさんはね、自分でイケオジとかちょいワルおやじとか言ってもいいと思うよ。

あー、どんなレース観ても、このスタートの瞬間ってこう、ザワッというかフワッというか、高揚するな。

オコン君頑張れ。私ゃ来シーズンも君が走る姿を観たいぞ。

 

さてそんなこんなで「ガルム・ウォーズ」だ。

何せ雑種犬並のお粗末なアタマなもんで、小説版ではでかいあいつが物語中で占める位置というか役割というかが、フワッフワした感じの「いる」ぐらいの認識でしかなかったんだけど、映画本編を観てそうか! と、うわあああああああ! となって、更に対談本でネーミングの由来を知って衝撃。

いや、しかし凄まじい映画でした。

どうあがいても終わることが見えている世界で、たったひとつのイレギュラーが何を招くのか。

なぜ神は、創造するだけしておきながら、総てを放り捨てたのか。そうして捨てられた自分達は、一体何者なのか。

ラスト、神はある理由から、自ら造ったものを投げ捨てたことが明かされますが、じゃあ何故そうすることを選んだのか、どんな機微があってそこに至ったのか、そんなことを、観終わってから考えたりもして、観る人間の数だけ答えがある、そんな映画でした。

押井監督の映画は、大概が「観終わったあと」、観ていて感じた疑問や提示された謎について、観終わってから考えるという、その先がちゃんとあるんですね。観ておしまい、じゃない。だから何度でも観返せるし、観た者同士が語り合って考察できる。

映画全体のイメージをひと言であらわすなら「終わりの始まり」でしょうか。

終わる瞬間をストップモーションにかけた中で、ガルム達だけが動いているような世界。一瞬を無限に思えるほど引き伸ばされただけだから、いずれ終わることは確実にわかってる。じゃあそれは、どんな顔でどんな風にやって来るのか? そこに至る過程を見せてくれる映画でした。あの終わり方は、完膚なきまでに全部が終わるというのが観るだけで伝わってきて、じわじわと怖ろしさがしみて来る世界の終わりでした。あの先には、救いも可能性も再生の兆しすらもない。きっと。

「ゾンビ日記」が静の終焉のかたちだとしたら、こちらは動の終焉とでもいったところでしょうか。

しかしこのラスト、海外、特にキリスト教圏の国では衝撃だったろうな。皮肉もいいところだもんなあ。

 

ちゃんと考えながら向き合える、観終わったあとに「宿題」がある映画はいいもんです。