さあ5連勤もいよいよ明日で終わるよ!
今日はこれを更新して、また観てる「立喰師列伝」の、ケツネコロッケのお銀のパートが終わったら寝る。もうすげえ限界が近いので。夕方に帰った瞬間ねむみに襲われたので。
あー、休みになったら私ゃ、しんこうえんじむらに行ってビリヤニむさぼり食うぞ。決めた。
今ねえ、無性に倉橋由美子初期作品を再読熱が再発してましてね。ええ、原因はわかりきってるの。「立喰師列伝」の、ケツネコロッケのお銀のエピソードです。あれはまさに、68年安保の真っ只中の時代設定で、それを踏まえてスピンオフでは、パレスチナでお銀の娘がテロリストになっていた、なんてショートムービーもあるからね。
倉橋由美子の初期作品は、まさにその時代に若者が何を思って何をしたりしなかったりしたのかを書いているから、それを読むと、今度はそういう若者たちのその後を知りたくなって、古野まほろ先生の二条警視シリーズ、特に「命に三つの鐘が鳴る」を読んで号泣。というのが一連の流れ。
これまでは円盤持ってなかったから、たまに動画配信で課金して観てたんだけど、買っちゃったからね、円盤……。しょっちゅうループしないように気をつけよう。
まあこのループ、映画が「人狼」に変わっても起こるので要注意な。
で、安保の時代だ。
倉橋由美子の作品、たとえば「聖少女」「蠍たち」「愛の陰画」などを読むと、デモで路上の車燃えたなんてことがあったり、主人公は仲間と学生運動に参加していたのが、あるときを転回点として醒めちゃったり、寓話性の高い雰囲気の「蛇」「パルタイ」なんかだと、よくわからない流れにテキトーに合わせてたらよくわからないうちに運動に協力することになっていて、よくわかってないままちょっと仕事を手伝ったんだけど、ふと気がつけば勧誘してきた婚約者のこともたいして好きじゃなかったことに気がついたり、いきなり蛇に飲まれかかってるのに周りには見物人しか集まらなくて誰も助ける気配がなくて議論始めやがるとか、同時代の作家で、しかも若いからこそ感覚としてわかっているからこそ書けるもので、もう凄みの極みですよ。その後ののっぺりした時代に生きてる俺たちには絶対に到達できない高みで優雅なピルエットを華麗にキメられてるんです。ページを開くたびに目の前で。悔しいやら感動やら。
こういうものを書ける人間になりたいと思いながらも、絶対に自分には到達できないし、そもそもがワンアンドオンリーの二度とあらわれないであろう唯一の作家であることもわかる。くそう。
もう我々は、ああいう時代の熱狂も祝祭も持ち得ないのだ、という厳然たる事実を思い知らされます。
しけた時代になったもんだ。
これからああいう祝祭的時代が来るとしたら、熱のない、静かでただし決定的な、根元的なものなのかもしれない。たとえば世界の大きなシステムを根本から変えるような。
なんてことを考えながらも、冷やしタヌキの政まで観ちゃったのでもう寝ます。
寝ないとまじで死ぬので。全俺が死ぬので。
生きていたら次回の更新でお会いしましょう。
死んでいたら、そのときはそのときで。
さあ次回の私は死んでいるかな。生きているかな。