さあ3連勤初日が終わったYO! きのう肝心なときに観られなかったテレビですが、今PC立ち上げたらあっさり回線認識してました。なんか安心したので、尼損プライムで「今ちゃんの『実は…』」観てます。いきなりサバンナの銭湯コーナーから始まりましたが、このユルい空気は絶対に全国放送では出せない。守りたいこのユルさ。
なんだかまた、愛知の美術イベントがまためんどくせえ展開になってるようですね。
まったくの部外者どころか、ニュース映像で作品を2、3見ただけ、経緯についてはネットニュースの概要をザックリ斜め読みした程度ですが、それでもわかることがある。
あれはね、興行主がすげえ行儀の悪い商いを仕掛けたら、行儀の悪さがばれて指摘されたら「うちの商品のどこが粗悪品ですのん」と見当違いな難癖をつけ始めたってだけの話です。
まじでそれだけ。
まずね、興行主の責任ってのは、この展覧会でいうなら、国が税金を出すに足る+観客から入場料をとるに足るクオリティの高い作品を選んで展示する、というところにかかっているわけです。この場合、作品のテーマとしての思想云々が如何に高邁で素晴らしいかどうかは完全に別論。作品として見応えがあるのか、観客が支払った入場料を妥当な金額だと納得できるものなのか、真っ先に問われるのはそこなのではないでしょうか。
今回の展覧会の何がまずかったのかを、ちょっと整理してみましょう。
時系列を追っていきましょう。最初の悪手は、国からの助成金を引き出すために展示作品の実際をごまかして手続きを踏んだこと。
次の悪手は、展示作品の質ではなく、思想面にしか重きを置かなかったこと。
最後に打った悪手は、助成金のための手続きをごまかしたことを指摘されると、展示作品に難癖をつけるのかと逆上したことでしょうね。
確かに、展示作品が背負う思想はいささか問題があるとは思います。ただ、それはちゃんと芸術作品として質の高いものを作れていればどうということはない。でもそれができていないから、観客から入場料の額が妥当とは思えない、こんなゴミを寄せ集めたようなものに税金が出されているのか、と不満が噴出し、助成金を受けるに至った経緯を調べ上げられ、問題視されることになったわけで。
最初からきちんとしていれば、どうということもなかったんですよ。
最初からきちんとありのままを届け出て、入場料をとるに足る質の作品を作れる作家に作品の依頼をする。それだけで、こんなに揉めることもなかったんですよ。
イル・トルヴァトーレでいうなら「笑わせて貰う約束で木戸銭払ったんだ」であって、行儀の悪い商いが問題なんです。
何だかね、あの作品を見ると、お世辞にも芸術作品として入場料を取れるクオリティとは言えないでしょう。中学の図画工作の授業以来美術作品なんて縁がなかった素人が、にわかで作ったような、趣味のサークルの発表会レベルのお粗末さでしかなく、わざわざあれを観るために、北斎やブリューゲル、ピカソや雪舟の展覧会と同じぐらいの金額を支払えと言われたら、私ならその金でちゃんとした別の作品展を観に行きます。
何であれを、国費の助成をもらって開催しようとか考えたんでしょうね。
それに参加した作家も、思想的に染まりきっているならもうお幸せにとしか言えませんが、そうでないなら、自分の作品だというカラーを出せないあの展覧会の雰囲気に、息苦しさを感じていたのでは。つまらなかったろうなと思いますよ。だって、求められるのはある一定のかたちにはまるテーマのものであって、「私」の作品は求められていないんですから。
無邪気にあの展覧会に足を運んでしまった方、御愁傷様でした。
まあ要は、かたちばかり展覧会というものを開催して国から金をかすめ取ってやろう、美術展というイベントであれば自分たちの主義主張をアジ演説とは違うかたちで打ちだせるし、なんなら一般の観客からも木戸銭でかっぱげる。主催者側はそんな腹だろうと思います。
どうせやるなら、もっとちゃんと観て評価してもらえるよう努力しろ、安上がりに済ませようとしやがって、ぐらいしか言うことはありません。
本気で自分らの思想を伝えたいなら手抜きなんてもっての他だ。やるなら徹底しろ。他人様に見せて金を取るなら、それに耐えうるものを作れ。物作り舐めるな。
なんてもっともらしいこと言ってますがね、今私が一番気にしているのは、延期になった大阪城地下探索イベがいつから開始するのかだからね。
うちの博多は見た目は子ども、頭脳は豪商。うかつに触ればヤケドするぜ。