雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

いつか「葉底蔵花」を見るために

前回はゴジラの話をしましたが、今回は何をしようか。

と、考えながら本棚を漁っていたら、真っ先に「グランド・マスター」のパンフが出てきました。

 

今回はこれでいくか。

 

だいぶ以前の映画だけど、今回は「グランド・マスター」についてダラダラと書きますよ。

 

まず、未見の方のために、ネタばらしにならないように注意しつつザックリご紹介。

時は1936年。大東亜戦争前夜ともいうべき不穏な時代から、戦争、そして国の分断という時代の流れの中で、中国各地に伝わる拳法の、流派を代表する宗師達がいかにして技を守り、磨いていったのか。各々がどんな志を持ち、どう時代の荒波を乗り越え、あるいは飲み込まれていったのか。詠春拳の宗師・葉問を中心に、宗師達の辿った軌跡を描いてゆく……。

こんなところでしょうか。

主人公の葉問ですが、カンフー映画が好きな方でしたら、イップ・マンと書けば、あの人か! と、ピンとくるかと思います。ご存じない方のために簡単にご説明すると、子供の頃のブルース・リーに拳法を教えた先生で、自身も後世、その生涯を何度も映画化されているという人です。

どのくらいすごい人かというと、本編の中でも出てきますが、あなたにとってカンフーってどんなもの、って訊かれて端的にひと言「立ってるか横になるかだよ」って答えるんですね。どういう意味なのかは、映画をご覧いただければ確認できます。

この「グランド・マスター」ですが、主な登場人物は拳法の達人ばかりですから、もちろんカンフー映画ではありますが、大東亜戦争と終戦、その後の内戦や分断が、そこに生きる人たちの眼にはどう映ったのか、そこを流れる空気がどんなものだったのか、という時代の雰囲気を、「さあ近現代史をやりますよ。歴史上の人物は誰々が登場しますよ。こんな事件が起こりますよ」と表側から描くのではなく、あまり語られない裏側や、日常の街の中から切り取って描いていて、ちょっと視点を変えた歴史ものとしての楽しみもあります。更にトニー・レオン演じる主人公の葉問と、チャン・ツィイーが演じるヒロイン・若梅の二人が辿る転変で、人生の悲哀まで感じられます。特に若梅の後半生は切ないですよ。

 

さて、カンフー映画に限らず、ことアクションものというと、ときに「お話はいいのに肝心のアクションシーンが」とか、逆に「アクションはすごい。でも物語に無理があって乗り切れない」ということもあるかと思います。何とは言いませんが、私も過去、何度もそんな映画に当たったことがあります。

じゃあこの映画はどうなの、と思いますよね。物語がいいのは、前段を読んでわかったよ、と。じゃあアクションは?

大丈夫です。「グランド・マスター」の武術指導は、マスター・ユエン・ウーピン、袁和平老師が手がけておられます。カンフー映画の武術指導といったらこの方をおいて他にない、という第一人者。そういう点でもハズレなしです。

映像も迫力はもちろんのこと、とにかく美しいです。序盤の舞台である妓楼、劇中のターニングポイントとなる厳寒の深夜の、雪が舞うプラットホーム。終盤、葉問と若梅が歩く夜の町並みといった背景もすてきです。

まだ観たことがなくて、という方がいらしたら、ぜひ一度ご覧ください。カンフーものは苦手なんだ、ということでしたら、アクションものとしてではなく、武術で結びついた男女の物語としてお楽しみいただければよろしいかと。

超個人的な意見を申し上げると、映画本編は全て、トニーの「流派はどこだい? 」のステキ漢前なラストカットのためにあるのではないかと思われ(以下18000字あまりトニー・レオンのステキさについて力説部分略)

 

最後に、おすぎもかくやという勢いで語っておきながら、その全てを破壊する素朴な疑問。

 

この映画、なんで監督がウォン・カーウァイなの?