雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

こんなにも青い空と海の間で

ときどき読み返したくなって、もはや手放せなくなって、カバーが擦り切れてちぎれて、折り返しのところを裏側からテープで修繕するくらいの本が何冊かあります。

講談社文庫の安能務版「封神演義」、河出文庫のアンソロジー「ロシア怪談集」、講談社ノベルス版「鉄鼠の檻」…。そして忘れてはならない、宇月原晴明の戦国三部作「聚楽 太閤の錬金窟」。

初読でまず号泣。そして、とんでもない小説に出逢ってしまったと驚愕しましたね。

この一作だけでも、山田風太郎もかくやという一大スペクタクルを楽しむこともできると思いますが、真にこの小説を味わい尽くすには、前作「信長 戴冠せるアンドロギュヌス」を読むとよろしいかと。ただ、未読であっても充分に素晴らしい小説です。年老いてゆくこと、一番幸せだった一日がどんどん遠ざかってゆくこと、置いてゆかれることのつらさ哀しさ切なさが、痛いほどに描かれています。

 

で、ここまでがマクラ。本題に入りますよ。

 

同じ宇月原晴明作品に「安徳天皇漂海記」という小説がありましてね。

これもまた、切なくも哀しい物語です。

ときは平安末期、わずか7歳にして壇ノ浦で入水した安徳天皇は、皇家の宝重のちからで生かされ、海を漂い、独りさびしく哀しい旅路をたどる…。

大人たちに翻弄され、運命に翻弄され、潮の流れに翻弄され、やっとめぐり逢った対等の友達は、滅びゆく宋王朝の幼い皇帝。皮肉なことに、この親友も安徳天皇と同じように入水して生涯を閉じますが、宝重に守られている安徳天皇は、親友が死んでゆくのを助けることもできず、己の幼さや非力さ、運命の残酷さに怒り呪う怨念と化してゆくのです。

第二部は、まず日宋の幼い皇帝が友情を深めるきっかけが李長吉の詩ってところで、子供がこんな暗くてさびしい詩を好きになるような、救いのない環境に置かれているところがつらくて、ちょっと目から汁が出かかりましたが、宋帝入水のくだりでもう号泣。

終幕、怒りと悲しみに凝った安徳天皇は、自分と同じように運命を呪い呪われ、怒りと悲しみを抱いた遥かな先祖と出逢い、やっと救いを得ます。

そこで先祖がかけたひと言で、また号泣ですよ。目と鼻から汁が垂れ流しですよ。

どこまでも青い空と海の中、ぽつんと針で突いた先みたいな小さな島で、ようやく安らぐことができた子供の、長い長い絶望の旅路です。

 

この終盤の、どこともしれない南の島での対面と救済のシーンですが、何故か一青窈の「ハナミズキ」を連想するんですよ。

おそらく「僕の我慢がいつか身を結び 果てない波がちゃんととまりますように」「薄紅色のかわいい君のね 果てない夢がちゃんと終わりますように」って歌詞が、この7つの子供がたどらされる悪夢のような旅路が、早く幸せに終わってくれるようにと祈らずにいられない思いにリンクしているのだろうかと思うんですよ。

とにかく一度、読んでみてください。一人でも多くの人に読んでほしい。名作です。