雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

問題は時代が終わったことよりもその次に何をするのかなんだよ

今日は休みでした。

ちょっとボーゼンとしてたらそれだけで昼がきて、気がついたら小室哲哉が引退会見してました。

 

記憶を掘り返すと「物語」を強く意識させられた最初の体験は、中一で「CAROL」を聴いた瞬間でした。

組曲の形式で綴られる、収録された曲がそれぞれに違う情景を描きながらも、有機的に繋がってひとつの世界を形作るアルバム。1枚のアルバムを聴くことで、1冊の本を読むのと同じ体験をする。のちに椎名林檎の「加爾基 精液 栗ノ花」で更にそれを突き詰めた形態を目の当たりにするとはいえ、やはり衝撃は「CAROL」には及ばない、その程度には私の人生において決定的な出逢いでした。未だ果たせてはいないものの、自分の中に生まれ出た何かをひとつの物語としてかたちを与えようと試みさせるぐらいには決定的でした。未だにその試みを続けさせるほどに。

俺的テーマソングは「HUMAN SYSTEM」に「STILL LOVE HER」だもの。

 

引退に至る経緯については、ネットニュースでサラッと読んだぐらいだし、それまでにも、下世話な言い方をするなら女性にまつわる問題も金についての問題もあった訳だけど、それは過去現在未来の人生で本人がどうにかしたりできなかったり、責任を背負っていったりそれを果たして下ろしたり背負いきれずにすっ転んだりしていくことなのでひとまず置くとして。

小室の引退を惜しむ人間の多くは、その才を惜しんでいる訳です。

少なくとも小室哲哉というアーティストは、私生活を見せて商売するのでなく、自身の生み出す音楽を発表することで商売していたのです。才能はあっても人間としては問題だらけだなんてのは、やや古いところではモーツァルトを見れば判るだろうし、現在でも社会的な影響力のあるアスリートにだってそういう人間はゴロゴロしてます。褒められたものではないけれど、だから、まずここで問題とされるべきは私生活での振る舞いといったゴシップ要素ではなく「どんな仕事をしたのか」をクールに見て考えるほうがいいと思うのですよ。

少なくとも彼の生んだ音楽は、結構な数の人間に支持され愛され、後に続く者の人生を決めてしまうこともしばしばあった。そのぐらいには影響力を持ち聴く者をとらえる魅力があった、それは確かです。

そこは認めざるを得ない真実。

そんな人間が、公の場で「もう創造できない」とまで公言する、この疲弊。

病ゆえとはいえ、いつの間にか自分が相手にとってパートナーではなく「保護者」になってしまっていたという、どうしようもない事実。

対象は違えど、同じように「それがないと生きていけない」という業を抱える者にしてみれば、飯の種にするほどどっぷり浸かっていたものを「やめます」と公言させるこの不毛に、じんわりとした薄ら寒い恐怖をおぼえずにいられません。

チャン・イーモウコン・リータランティーノユマ・サーマンといった、芸術家と、その創造の源泉となるミューズのような関係を思い描いていたであろうことは想像に難くありませんが、そんなフンワリ甘い夢など瞬殺されるこの現実。その中で、とりあえず死ぬまで生きていくしかない。とはいえ。

TK、あんたこれから何して生きていくんだい。

 

もっとも、私のこんな戯言ももはやノスタルジアで感傷でしかないのは解ってるの。

いつまでも同じものをこねくり回していても仕方がないけど、あんなにセンセーショナルだったボーカロイドでさえ、いまや当たり前のものになってしまっていて、モノの流転って速いし激しいよね。

新しいものに飛びつくよりも、いっそ思い切り古いものの普遍性に目を向けるのもアリなのかもしれない。イロイロやってはみたけど結局生き残ったメンバーは同じ、みたいな感じで。

これからの時代は古典趣味だ。クラシック聴いて懐古的な小説読んで日本刀を愛し寺巡りして古い喫茶店で茶を飲もう。

いや待てコレ全部、私の通常運転じゃないのか。

そうか。これからこういうのが来るってことか。

そうか。

 

なんかいつも通りにしてれば間違いなさそうなので、気張らずにいつものようにやっていくことにします。