今日はアレ。仕事の帰りに紅茶買ってきました。USBメモリは明日以降。
いや、お茶ないと生きていけないし。
テキトーなお茶なんて飲めたもんじゃないので、どうしたってそこそこいいお茶でないとダメ。いくら貧乏してても、お茶ぐらいはそこそこでもいいものを摂らないと、気持ちまで貧しくなるからね。
物理的にビンボーはまだいい。気持ちまで貧しいのはいかん。
最近は心の豊かさを維持するために、以前からやってる「いいお茶を飲む」の他に「一日一度はお出迎えの御手杵画像を見る」を実践。御手杵ってこんなにカッコよかったんだ…。改めて思い知った。今日も推しのお出迎えがオットコ前過ぎてしんどい。
前に働いてた店の上司に「飄々としてる」と言われたことがあるんだけど、実際どうなのかは謎。たぶん、私の基本的な姿勢が、どうにもならないもんはもう泣き喚こうが踊ろうがならないので騒ぐだけ無駄。それならその体力を今どうにかできることに回したほうがいいし、何でも深刻ぶればいいってもんじゃない。という感じなので、側からはあんまり状況に左右されないように見えてしまってるのかもしれない。
何か教わって、自分なりにそれを実践しようと頑張ってはいても、ちゃんとものになるまでには時間がかかるでしょ。で、教えた人はすぐできて欲しいって願望もあるだろうし、その気持ちはわかるんだけど、アレ。なかなか身につかないように見えるのも、何も身にならないなりに何かは身についてると思うのな。仕事の段取りだとかを教えるときなど特にそう思う。そのせいなのか、あんまりカリカリしたりキナキナ追い込んだりするのもされるのも好きじゃないんですよ。仕事では、されるのは仕方ない局面もあるし、する側の気持ちもわかるので受けとめてるけど、自分が人の尻叩いて偉そうなこと言うのはどうにもダメ。だって自分が一番あてにならないの知ってるんだもの。
そんなこともあってか、あんまり追い込まれてる感とか説教されてこたえてる感とかが顔に出にくいみたいです。
ちゃんと話聴いてるし、自分でどう対応するのがいいのか考えてたりもするんだけど、顔に出ないの。
まあ、表情ばっかりしおらしくしてて、肚の中でバカにしてるよりはまだいいよね。
何か突発的なことが起こったときに、みんなでキャアキャア騒いでいても解決しないわけで、そういうときに「おーすげえパニックってこんな感じなんだなー」とぼんやり観察しちゃうような、私のような奴も、いれば何がしか役に立たないとも限らないですから、これからもリアクションはカロリーハーフで行こうと思います。
ただしバカ兄妹の会での、神社仏閣でおみくじ対決は全力でいく。カロリー上乗せでいく。慈悲はない。
これを見た瞬間「ッシャオラー‼︎‼︎‼︎」と叫んだのはココだけの話だ。な。
また明日も仕事して、帰ったらとうらぶして無用組カンスト目指します。