仕事してきました。明日も仕事。
今日明日は夏日とかいってて、もうね、知るかコノヤロー!
あさっては休みだけど天気はどうなのか。マミーが北斎美術館に行きたい言ってるので調べたら、月曜は休館日だっていうし、アレか。ノーバディーキャントストップグータラ生活か。
でもなあ。なんかもったいないよなあ。
とりあえずあとで考えよう。
だいぶヒノキ花粉も下火になったようですね。それでもまだ多少鼻にくるので、仕事中はマスクつけっぱなしにしております。
ただ、冬場からこっち窓を締め切りにしていて息が詰まりそうだったので、物は試しに、仕事から帰ってすぐに窓を開けてみました。
今のところは無問題。
このまま花粉が燃えて灰になってくれれば言うことないですわ。
仕事の帰り、近所で見つけた妙な存在感の木。
なんかさあ、これ、アマゾンとかにこういう枝ぶりの木がありそうだよね。上の方におさるがくつろいでるような奴。ド派手なとりが巣かけてたりとか。
気がつくとシャガの花が咲く時期が来てました。
早いよねホントに。
明日はえふわんないので、夜は何をしようか。また「トーキング・ヘッド」観ようか。
押井作品はまじで何万回観ても発見があるのすげえ。
なんかね、観ていて「クーロンズ・ゲート」思い出しました。アングラでアナーキー、レトロでどこかいかがわしいあの雰囲気。ほとんどのシーンをミニシアターの館内で撮影しており、舞台劇でも観ているような感覚に陥る、独特の密室感覚。その中で繰り広げられる狂騒と、更に一連の騒動をただ見つめる「お客さん」の、一方通行な視線。劇中で語られる「一種の恐怖映画」という言葉は、たびたび流れる病院の院内放送のような音声の正体に気づくと、途端に生々しく響いてじんわりと怖ろしさが込み上げてきます。
一度最後まで観て、もう一度観直すと背筋が冷えますよ。
映画という表現手段で「映画というもの」「映画を観る」「観た映画について語る」「映画を作る」ということについて、愛憎を踏まえた上で冷静に考察している作品であり、相当な覚悟をもって撮られた作品だと思います。
よし。チョコミントアイス喰って寝るか。