雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

なんか闇が深い感じの内容になったけど所詮はチワワの無駄吠えだ

休みでしたが、世間では連休だったそうですね。

ゆうべのイギリス決勝は、実にいいレースでした。レースの熱さ面白さに、トップ独占のメルセデスがまったくオミットしてないという現実はさて置くとして、ライコネン=サンも8位入賞だったし、いやあ、オーストリアに続いて、ええもん観させてもらいました。

ただねえ、メルセデスチームオーダーをもっと考えた方がいいんじゃないのか。去年はあんなに百合百合しいぐらい仲よくてイチャイチャしてたハミィとボッさんが、ここのところちょっとギクシャクし始めてませんか。ゆうべだって、表彰式の控え室でハミィとルクレールくんが駄弁ってるのをよそに、ボッさん独りで向こうのソファーに座って仏頂面だったからね。まじでチーム首脳は、いっぺん2人を連れてお高い焼肉屋とか回らない寿司屋とか行ったほうがいいよ。来季のシート争いと、こういう人間関係がおかしいのとは違うだろ。

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あと、このダニエル・クレイグカックイイの極みだろ。ねえ。

 

で、ここからいきなり話を変える。

夕飯どきにテレビつけてて、テレ東のアレを見てたんですよ。「YOUは何しに日本へ」。

いろんな目的で日本に来る外国の人の中に、マクロス好きのおんなのこに密着したくだりがありまして、星海坊主(親父)もマミーもサブカル系がまったく理解できないという理由で嫌ってるんで、割と冷ややかに見てたんですわ。まあこれはいつものこと。

「なんで日本のアニメなんだ」とね、そこがまずわからないようなんですよ。自国のものではなぜダメなんだ、と。

その理由は、私はなんとなくではあるけどわかってしまう。

外国のものの大半はおそらく「子供が見る」という前提で、すげえ単純なものを作っていて、それこそ十年一日といった雰囲気なんだろうと思うんですよ。たまにうちのお子様がBSであちらもんのアニメ見てるけど、チラ見した限りでも、それは見事なカートゥーン。ブレずに子供向け。対するに日本のもんは、子供も見るんだけど、放送時間だの平均的な家庭環境だのを想定して、更に「たいがい親も一緒に見ている」という環境まで織り込んでいるのではないかと思われるんですよ。だから大人が見てもどこかで感心する要素がある。

たとえば、前述のおんなのこの好きなマクロスや「イデオン」なら、未知の異星人と出会うことで文明衝突や、他者とどう対峙するのかという本質的な問いが描かれるし「ガンダム」であれば人間は思想の違いを乗り越えてわかり合えるのか、怨讐は乗り越えられるのか、ということを描いている。本当なら文学がやるような命題を、エンターテインメントのアニメーションがやってしまう。しかも娯楽作品としてちゃんと成立していながら、同時にそういうことを強く意識させるストーリーが練られている。おとなになってから観ても発見がある、そういうものになってる。

カートゥーンのすごさとはまた別種の凄みですね。

だってファーストガンダムなんて、主人公がさあ、片や離婚した父子家庭の子供、もう一方は政治家と愛人との間に生まれた兄妹でしょう。俺たちは何を見せられるんだこれから、って驚きがまずでかいよね。

多少なり蹉跌とかつまづきとか、そういうものを持っている人間が見ると、どこかしらで刺さるものがあるんですよ。たぶん。

アニメや漫画というスタイルで見せるから受け入れられる、という心理もあるのだろうし。

同じ作品でも、漫画やアニメで違和感なく観られるものが実写作品になって、俳優さんが演じてるのを見ると、もう違和感というより「お前のその恵まれたグッドルッキングなお姿で、冴えない主人公とか演じたところで説得力なんかあるわけねえだろ観客バカにしてるのか」という苛立ちしかないからね。だいぶ以前のものだと「野ブタをプロデュース」ね、あれ、いじめられてたヒロインが堀北真希ちゃんだよ。あんなキュートなお嬢さんが、ブスだっていじめられてたって設定がもう無理しかねえよ。どんだけ横車押し通すんだよ。「少林サッカー」序盤の、少林拳身につければ縦列駐車もできるあのイメージ映像かよ。

思えば「君たちはせっかくすごい演技の才能持ってるのにかわいい顔に頼りすぎてサボってる」って、出演女優に強烈なブスメイクさせる周星馳は慧眼だったと思う。

 

それはさておいて。

 

要は、現実の日常で割りを食うことが多くて、どんな人間がうまい汁吸ってよろしくやっているのか、自分には何があって何が欠けているのか、世の中はどんな人間がいい思いをするようにできているのか、そういうことに自覚的になってしまう程度に頭が回って、決して自分はマジョリティにはなれないと悟ってしまった人間は、たぶんちょっと外れたところで意外な拾いもんを見つけていくようになるんですよ。

少なくとも私は、姉が感動して泣いていた金八先生にピクリとも来なかったし(一番いいと思った金八は「勇者ヨシヒコ」の金八パロディ回)、柴門ふみ原作のドラマは、単に金回りのいい若え衆がサカってるだけにしか見えなかった。お好きな方には申し訳ないけど、姉が見てるのを脇からチラ見しての正直な感想は、ぶっちゃければこう。誰も貧乏や持病や家族との不仲や進学就職の失敗や、そういう、生活していればありうる悩みと無縁で、ただ愛だ恋だ性のことだと、それしかないってどういうことなのか。そういうところがひたすらに薄気味悪かった。異性と遊んでいて、なぜ望まぬ妊娠や性病のリスクをおそれないのか。将来の生活設計とか考えないのか。そういう要素をまったく描かないということは、フワッフワしたイメージだけでお話を作ってるわけで、語るべき命題もメッセージもないものに付き合う時間は、私にはないんですわ。まあ、そういうことをちゃんとやってる作品もあるのかもしれないけど、美男美女ばっかりの登場人物がそんなことしたところで、どうせお前らのグッドルッキングなお姿なら、他で埋めあわせるどころか利益産んで、もはやどうでもいい悩みでしかねえだろ、とはなはだ切実さを欠いたものにしか感じられない。仮にまじでビミョーな容姿の絶妙な俳優が出たところで、見て感動してるリア充は、自分の身の回りにそういう人間がいれば、石投げていわれなき非難でぶっ叩いて詰めて「あいつキモいんだからしょうがないでしょ」ぐらいは言うわけで、お前の普段の行いは何なんだ。という嘘臭さも、白ける要素でしかなく、だからまったく見ておりません。

そもそも、ドラマに出る家の中を見れば、もうイメージだけのペランペランなもんでしかないのがわかろうというもの。どんなキャラクターなのか掘り下げたりなんてしないから、モデルルームみたいに生活感のない部屋ばっかりで、そこに住む主人公や家族がどんな人間なのかがまったく伝わらない。納得して観られたのは「TRICK」山田のきったねえ6畳一間のアパートぐらいか。あれはよかった。チチバンドにでっかく名前書いてるとか、それだけで山田の人となりがわかってよかった。TNGパト、ガッパ回の冒頭、あのきったねえ台所を見てみろ。ああいうことをやるスタッフなら多少は見直すよ。

 

何の話をしていたんだったか。

 

だからね、私はね、現実に寄せているふりをして中身のないハリボテよりも、まるっきりの絵空事の皮を被った真実の方がいいんです。お高いケーキ屋の箱だけしかくれないよりも、西友の袋開けるとピエール・エルメのイスパハンとか白十字のケーキが入ってる方がいいんです。小ぎれいな三河武士ばっかり出る大河ドラマよりも、薩摩兵子がちゃんと血迷ってるアニメの方がいいの。

と、そんなことを考えてましたが、一切何も言わず済ませる辺り、俺はそういう根源的なところで親を信用してない。まあ、変に語ってめんどくせえことになるよりは、表面の付き合いで終わらせる方がはるかに平和。

平和が保たれたところで、明日から仕事だ。寝るか。

あ。姐さんにネットで拾ったライコネン=サンの画像送らねば。

 

ああ、落語聴きたい。春風亭昇太の、OLに飼われてる柴犬の噺。無性に聴きたい。アップルの配信にあるかな。リボンつけられる雄犬の受難で腹筋崩壊したい。今度探してみよう。