昼までゴロゴロしてました。
原因はわかってるの。
あれだけ疲れてたのに、変に目が冴えちゃって「田園に死す」観てしまったから。
とりあえず、感想としてはひと言。
疲れてるときに観る映画じゃなかった。
気力体力が有り余ってるときに観るものだった。
映画は大きく3つのパートで構成されております。
序盤で語り手「私」の過去が語られたと思ったら、次のパートの導入で、それが語りやすく自分でも受け入れやすく改変された、美化された記憶だったことが判明。そこで「実際はこうだったじゃないか」と突きつけられるのは、田舎の閉鎖的な村の実態であり、序盤で語られた挫折や失敗が所詮は美化されたものでしかなかったことが明らかな、ドメスティックな「私」の家出の顛末であり、結局はまだ子供でしかないのだと思い知らされた挫折だったのですが、更に最後のパートで、おとなになった「私」はあの頃の自分と遭遇し、バタバタと逃げ出したことで乗り越えられなかった母親を、今度こそ乗り越えるのだと決心し、子供の自分に強いて協力させるものの、思わぬ障害によって失敗。あの有名なラストシーンに繋がっていく━━。
で、改めてちゃんと観ると、あれってATG作品だったんですね。道理で自由すぎるにも程があるわ。エロにかすってさえいれば、文芸だろうとアクションだろうと、好きなようにやらせてくれたっていうんだから豪快だよなあ。この映画も、まあエロシーンはあるんだけど、どちらかというと純文学要素が強いですね。自分の出自とか家族との確執とか、そういうものをテーマとして据えていて、それがたまたま、寺山修司作品だからアングラ的な演出でスッペイシーに語られているだけで、王道もいいところな純文学だと思うんですよ。天井桟敷テイストを引っこ抜けば、語られてるのは少年の挫折と家族の物語だからね。
そうだな、若い頃の八千草薫が美人なのは予想ついてたから驚かなかったけど、春川ますみがなんか愛嬌があってかわいかったです。あと原田芳雄は、少年に世の中の裏側を垣間見せる感じの大人感がカックイかったです。
ということでね、今日は起きてからもちょっとばかりぐったりしてたんで、こんなときには花丸が一番ですわ。
子供は伸び伸び元気なのが一番いいんじゃ。
あとはドリフ原作読んだりしてました。やっぱり何度読んでもアニメ観ても、お豊が好きすぎてしんどい。
そういえばドン包平(大包平の不穏当な呼び方)、トーハクで公開してるそうですね。
会いに行きたいんだけど、今のこの状況を考えるとなあ。実際のところどうなんだろう。あの手の施設に行くなら、もう少し2ヶ月3ヶ月様子を見てからと思ってたんだけど。
「何も慌てて行かなくてもよかろう。管理人さんは俺では不満か? 」
待てドン包平どこから出た。あんたさっきまで数珠丸パイセンにお呼ばれして、青江派兄弟の部屋で夜茶に行ってたんじゃないの。いや、うん不満とかじゃなくてね。こう、うちにいる子の晴れ姿だからさ、授業参観的に、行ける場所なら行きたいじゃない。だから不満じゃないって。ノー不満です。うちの子になってくれてありがとうな。
それにしても、歌仙さんといいドン包平といい、似たような反応するな。
やっぱり人が集まりそうな場所は、しばらく様子を見るか。
明日あさってはまた仕事ですよ。今日一日何もしなかったので、多少は体力が戻っているだろうとは思うんだけど、ゆうべはあんな気力体力を削られそうな類の映画を観たので、早めに寝ておくか。
映画は時間帯を見極めて選ぼう。