連勤初日、さあ今日から夕方までフルで入るべえと思っていたら、午前中で終わりました。
いとはん曰く「今日寒くて暇だし、仕事のほとんど片づいちゃったし、むしろ明日から夕方まで入ってもらいたいから、今日コレで切り上げておやすんで。つまり、
ということで」だそうで、帰ると接骨院の診療間に合う時間だったので、行ってきましたわ。
今日からもう長風呂もしてよし。あっためてほぐして、ということで、動いてよしの許可が出た。
帰って昼食ってからは、ずっと「孤独のグルメ」観ながら雑文の打鍵しておりました。
きのうダウンロードした縦書きアプリですが、実際に使ってみたら、俺が最も必要としていたルビ振りの機能が、すげえ使いやすくて今のところ不満なし。
「縦式」というアプリで、iMac・iPad・アイッフォーンの他に、Android端末やWindowsでも使えるようですね。立ち上げると、原稿用紙にパチパチと打鍵してゆく感じで文書を作っていきます。フォーマットが原稿用紙なので、1ページは20文字×20行。単純でわかりやすい。しかもルビ振りが簡単。こういうのでいいんだよ(CV:井之頭五郎)
さて、だいぶ座っていられる時間が長くなったな。コレなら散髪に行けそうだ。次の休みに…と思ったら、次の休み火曜だ。その次だな。
もうぼちぼち1年の終わりが見えてきておりますが、今年はほとんど遠出ができない年でした。来年以降どうなるんでしょうね。
最近はなんだか妙にシンゴジのラストを思い出しましてね。
あれは、最後にゴジラ=サンがいて、いつまた起きて元気になってもおかしくない、それが当たり前で、うまく付き合っていかないといけないという、まあゴジラ=サンがいることが大前提となった世界が来て、それを受け入れていかざるを得ないのだと突きつけられる終わりでしたが、もうすでに現実でもそうなってるんですよ。でかいからどうしたって目に入るゴジラ=サンなのか、目に見えないぐらいちっこいコロナなのかの違いだけで。
で、そうなると、あるならあるでうまく付き合って、何でもかんでもゴジラ=サンなりコロナなりを、いろんなことができない理由にするよりは、上手に対処して、気をつけるところは気をつけて、できることを増やしていく方がいいんじゃないのかともね、思うんですよ。
手を洗う。うがいをする。マスクをつける。換気の悪いところへは行かない。少なくとも、このぐらいには対処法が発見されているわけで、人間にはそういう手段を見つける知恵もあるし、大半の人間には、それを実践する程度には分別もある。にもかかわらず、目先の陽性反応の数できゃあきゃあ言っているだけってのは、進歩がなさ過ぎてなあ。もっと先を考えていかないと。できること、できる対処法、療法の発見をしていかないと、
生きている以上、そういつまでも怖がっているだけで終わるわけにはいかない。
「要は大将が言いたいのは、遠征に出たいってことだろ」
「夏場ぐらいからずっと言ってますよね。本丸の慰安旅行したいって」
「日帰りで三日月さんのお披露目観に行ったり、俺のお披露目に来てくれたりしたけどさ、大将、あんまり写真が撮れなかったって言ってたもんな」
どうした薬研にあっ君、鯰尾。
「わかったぞ! 」
なんだ何がどうした鶴よ。
「君、ここのところ体の具合が悪かったのは、あれだ。ストレスだ! 思うさまで歩いて写真撮ってみろ、たぶん万事解決するぞ。要するに煮詰まってるのさ! 今の君に必要なのは驚きだ! 」
やっぱりそうか。じゃあちょっと考えるかな。まずは歌仙さんと日向君のお披露目を観に行こう。あと河鍋暁斎。それと、国立のイルミネーションやってるか調べておこう。
「あ、鶴さんさすがだね。管理人さんがちょっと元気になったよ」
みっちゃん、やだ心配してくれてた?
まあ、とりあえずどこへ行くにしても、その前に散髪はしておかないとね。
今日はがっつり打鍵してたので、早めに寝ておこう。
快適に使えるのは楽しかったけど、たぶんそれなりに疲れてるだろう。
明日からがんばるぞい。