遠征より帰って参りました。
明日の仕事の支度して、写真データ吸い出しました。
帰りがけに接骨院に寄ってお土産置いてきて、あとは明日の朝職場に持っていく分を忘れないようにしないとな。
今日は朝イチで出町ふたばに行って豆餅買って、千本釈迦堂に行った足で北野に出て粟餅食べてカステラの配送頼んで、八坂さんと安井さんにご挨拶に寄ってから祇園でチョコレート買って、八条口の鶴屋吉信でかき氷食べて、お昼のカルネ買ってキャリーの配送頼んでたのを受け取って帰ってきました。
千本釈迦堂は、前にいっぺん寄ってみたら閑散としてたのでさして中を見ずに出てきちゃってたんだけど、今回は行ったことのないところを少し気にして回ろうと思っていたので、表から入ってちゃんと観てきた。
派手さはないけど、その分なかなかいいところでしたよ。建物自体が応仁の乱以前の、創建当時のものが残ってるし。だから乱の頃の刀疵とか残ってる。今日は古刀・新刀接待デーになってたな。
「でもほら、おとといは僕らのゆかりの地・金戒光明寺に連れて行ってくださいましたし! 兼さんも喜んでますし! 」
「兄弟にご縁があった場所だろう。兄弟は昔からカックイイからな。だから今だってカックイイんだな。行ったらすごいよくわかった」
堀川君や。お宅の末っ子は相変わらずシンプルな思考形態だねえ。
「でもその分、筋肉を鍛えていて、しかもいい子ですよ」
なんというポジティブ。
安井さんはこれといってお願いするほど追い込まれてはいませんが、以前にガチのお願いをして、それが効いて、以来京都に行くとお礼も兼ねてご挨拶に行くようにしているんですよ。お礼と経過報告的にな。なんでも頼むだけ頼んで、かなったからと言ってそのときだけ「ありがとう」で終わらすってのもなあ。せめて「お陰様で今はこんな感じでやらせてもらってます」と挨拶するくらいしておかないと、なんか人としてどうなんとは思う。困ったときだけ顔出すのかよ、とか思われても仕方ないよな。いっぺんお世話になったなら、そのくらいするのが礼儀だろう。実際助かったんだから。
しかし今回の遠征、初日の銀閣寺のあれはなあ。トイレの前で、入り口の上にでかく看板がついてて、それをどう読むんだと外国人に訊かれたのがなあ。なんであれに興味持つかな。
「国広、あれ読めたか? なんだっけ、あの、東に司どって書いてる、」
「僕もあんまり気にしたとなかったけど、管理人さん普通に読んでたよね」
え、いやだって、京極夏彦の「鉄鼠の檻」を通った者なら読めて当たり前だからな?
あれはトウスと読むんだと答えたら、連れの若者たちがその場でググったらしく「ほんとだー! 」と盛り上がってましたが、「活字中毒」と抜かした兄貴分は覚えていろ。
で、今回はシャッター押してくれは1回遭遇しただけでしたが、たぶん人が集まりにくいところばっかり回ってたからだと思われます。これが混雑お構いなしで嵐山とか行ってたら、すげえ捕まってただろうな。
石切さんではお百度の文化がまだ現役で生きているの、なんかこういうの見ると嬉しくなるな。
さて、本当ならちゃんと荷物の整理してしまいたいところですが、明日仕事なのでもうとっとと寝たい。
必要なものだけとりあえず出して寝ます。あとはもう明日以降だ。