雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

元祖下ネタ大王の話

今日の雑文のネタに困っていたら、棚にしまってあるDVDが目にとまりました。

アマデウス」。ご存知でしょうか。同時代の音楽家・サリエリの目を通して語られるモーツァルトの半生を描いた映画です。

BGMはほぼ全てモーツァルトのスコア。ヨーロッパは当時の街並みがそっくり残っている土地が多いですから、セットなんて作らなくても充分撮影には困りません。街の中で歴史物の撮影ができるってのもゴーカイな話ですね。

 

まず、語り手であるサリエリのキャラクターがうまい。自分で作曲するのはそこそこ、でも自分についても他人に対しても、どの程度の才能を持つのか見極める眼力は確か、というのは、およそものを作る人間には酷な能力で、本人もその皮肉さを承知してもいる。だから、実際にモーツァルトと出逢ったときに、その才能に惚れ込みながら、同時に、子供がそのまま体だけでかくなったようなモーツァルトの言動に怒りと嫉妬すらおぼえるんですね。何でこんな子供にあんな才能が、と。なまじ地道に堅実に努力してきた糞真面目なほどの人物なだけに、瞬間の思いつきで脊髄反射的に振る舞うモーツァルトには、才能をリスペクトしているだけに余計腹が立つ。実際、現在も残ってるモーツァルトの手紙を見るとホントにひどいんだコレがブフフ。まだ子供のイトコにあてた手紙に「花壇にバリバリのウンコしとけ」とか書いてるんです(ザックリ意訳だけど実話だ)。どうもオナラとかウンコとかの下ネタが好きだったみたいで、もう解りますね。奴は小2です。

で、小2センスのモーツァルトを嫉妬からそれとなく蹴落としながらも、でもあいつの音楽はすごいんだよな、とついオペラ観に行ってしまう。行いに苦言を呈しても才能は切り離して絶賛する辺りが、サリエリの屈折っぷりと公正さを物語ってませんか。

まあ案の定、好きなようにテケトーにやりたい放題やっていたモーツァルトはどんどん仕事がなくなって食い詰めて、そこへお父ちゃんが死んだと報せがくる訳です。厳しくて、結婚もいい顔されなくて敬遠してたけど、どっかでやっぱり慕っていたお父ちゃんだったので、家計苦しいのとお父ちゃん死去とでもうモーツァルトはダブルパンツ喰らって、みごとに落ちぶれていくんですね。生活が荒れて酒浸りになって、しじゅうアルアル言ってるようになるし、新作オペラ書いてもテーマが辛気臭い「ドン・ジョバンニ」とか、魔術・錬金術の象徴を暗に散りばめて、何も知らない観客は物語の表層を追うのがやっとな「魔笛」だったりで、興行主も山師丸出しの胡散臭い奴だし、舞台かける小屋も場末の劇場なんだけど、それでも行くんだよ。サリエリ。気になってモーツァルト作ってなってると観に行っちゃうんだよ。

終盤、サリエリは嫉妬からある罠をかけるんだけど、皮肉にも、その罠こそがサリエリモーツァルトに抱いていたわだかまりを流し去り、二人同じく音楽を愛する者としての同志であることを、互いに確信させるのだけど、それを信じられた瞬間、あっという間に永遠の別れがやってくるのです。

その才能を羨んだ相手が、実はかけがえのない最高の友であり、しかもその友を自分のつまらぬ嫉妬がもとで失ってしまった。その友人を失ったあとの世界を、自分はただただ生きなければならない。ちょっと想像しただけでも、この残された側の過ごす何十年という時間の長さは恐怖ですよ。それを思うと、冒頭のサリエリの行動は腑に落ちます。ついに耐えきれなくなったんです、きっと。最後までこの映画を観たら、冒頭のシーンのサリエリの言動を振り返ってみてください。どんな想いを抱いて、この無限にも感じられる年月を、どう生きていたのか。

ディレクターズカット版DVDが出た時に迷わず即買いしましたが、とにかくいろいろな角度で、何度でも観られる映画です。若い方なら、モーツァルトと奥さんのコンスタンツェの夫婦の関係について考えたり、ある程度年齢を重ねると、モーツァルトのお父ちゃんやサリエリといった大人たちについて考えたり、観ている人の数だけ観方があります。未見の方は、一度でも観ていただければ、おすぎが賛辞を惜しまない理由がよく解りますよ。

 

最後にひと言。

呑み過ぎいくない。

呑み過ぎはいくないので、楽しく大酒をたしなもうと思いました。(作文かよ)