雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

「スナーク狩り」式に3回言ったので本当のことです

今日は何を書こうかしら。

そうね「人狼」の話でイイよねもう。

イイですね。イイな。な。

というわけで、独断で映画「人狼」の話をします。決定。

 

脚本・原作は押井守、監督は沖浦啓之。制作はI.G押井組。

時代は昭和30年代、というよりも60年代という方がピンと来るでしょうか。安保闘争に揺れ、機動隊と学生デモ隊が日々衝突を繰り返し、一部先鋭化したデモ参加者や社会運動に携わっていた学生達が地下へ潜りテロリストとなり、闘争を繰り広げていた、そんな時代です。

実際の歴史と少し違う点は、第二次大戦中のヒトラー暗殺計画が成功し、連合国側へ位置を変えたドイツによって戦後占領統治された日本、という、ありえたかもしれないif、もう一つの戦後を歩んだ日本、という舞台設定でしょうか。

そんな「もう一つの戦後」を経験した作中の日本では、先鋭化し本格的な武装を始めたテロリスト達に対抗するため、警察・自衛隊から独立した公的な武装組織、対テロリスト部隊という目的のため、強力な装備を持つことから機能する範囲を首都圏のみに限定された、首都警察が組織されていました。

主人公は「地獄の番犬」「ケルベロス」と後にあだ名されるこの部隊の一員の若者。

映画の冒頭、彼は作戦行動中に遭遇した少女のテロリストに目の前で自爆され、「撃つべきときに発砲をためらった」ことから、訓練所での再訓練を命じられます。

何故、自分は撃てなかったのか。

そのことをずっと己に問い続ける若者は、同期の親友に頼み、少女の身元を調べてもらいます。少女の墓参りに訪れた共同墓地で、彼は少女の姉だという娘に出逢いました。

出逢いをきっかけに、二人は交流を持つようになりますが、その頃、首都警察の内部では、若者が籍を置いていた強行部隊を廃止し、一般警察に吸収されることで生き残りを図ろうとする勢力が暗躍、一方、首都警察内部には「人狼」という内部粛清組織が存在するという噂が、隠然とささやかれているのでした。

一般警察、首都警察、テロリスト、そして存在すらあやふやな「人狼」。この4つの(うちのひとつの存在については最後に明かされるまで不確かなものの)勢力が入り乱れて争いあっているわけです。

そんな、水面下での緊張状態が続いていたある日、事態は動き始めます。

訓練所の若者に、娘から助けを求める電話が入ります。

彼女と落ち合う約束の場所……夜の博物館へ急ぐ若者。向かったそこには、大勢の男達が見張りに立っていました。そう、今までのすべては、巧みに張りめぐらされた罠。首都警察の強行部隊を堂々ととり潰すための口実を作り出すための、罠だったのです。

とらわれず、生き延びなければ潔白を証明できない。若者は恋する娘を連れ、非常戦を突破するべく戦い、そして…。

 

未見の方のために、ざっとかいつまんでご紹介しましたが、はっきりいわせてもらおう。(小岩井よつばさん口調)。

とにかく観てください。こんな悪文での紹介ではミジンコの毛程もこの映画の魅力をあらわせないので。

昭和レトロの街並み、そこに「ありえたかもしれない戦後」なればこそ走る路面電車。G2は「じーつー」ではなく「ゲーツヴァイ」とドイツ語発音で言いあらわされ、首都警察の装備はドイツの銃器や鉄兜。ラブロマンスは節度を保って抑えているからこそ情感をかき立てられ、恋人達の想いを利用しようとする陰謀は怜悧で苛烈で、終盤に「ああこれは男の嫉妬の物語でもあったのか」と気づかされる。戀愛映画でありアクション映画であり、謀略ものであり友情にまつわる物語であり、また事故のアイデンティティを問われる物語でもあり、と、この一作で色々な観かたができて、観るたびに発見もある。

名作です。

断言します。名作です。

大事なことなので2回言いました。

私は観るたびに、ラストシーンで必ず号泣します。何度観ても、最後はどうなるのかわかっていても、やっぱり号泣です。何度観ても、あの終幕は切なくてかなしい。

 

自分は何者なのか。

何になれて、何にはなれないのか。

自分という存在について、一度でも心もとない想いを抱いたことがあるなら、この物語の恋人達の哀しみや苦悩に共感し、あのラストシーンにたどり着いたそのときには、あまりの過酷な結末に涙せずにいられないことと思います。

一度でもいい、観てください。名作です。