今日も半ドンで仕事が終わってしまった。
アッタマきたので、帰って昼飯を食うてから、チャリ出して隣駅のホムセン行って、鉢植え取り込む用に木箱買ってきました。その足で接骨院。で、接骨院でバーレーン決勝の話になったので、あっいっけねまだ観てねえや。と、慌てて今観ながら打鍵しております。いやあまじでDAZN=サンにはお世話になりっぱなしだな! ありがとう。なんかF1しか観てねえ感じになっちゃってるけど、シーズン始まったら大リーグとかも観よう。もっとお世話になろう。
サッカーもねえ、たぶんちゃんと観れば面白いんだろうけど、アレはどこを見ればいいの。押井監督は「監督が何を考えて采配してるのかを観てる」とおっしゃっていたけど、そういう見方をするには、どの辺を見ればいいの。選手? 選手が交代してるタイミングとか、誰と誰交代させるのかとか、そういうところ見てればいいの? たぶん私がサッカーをちゃんと理解するには、ボールとか追うと目が回るから、押井監督と同じような観方をしないと無理だろうとは感じてるのな。
この鑑賞方法で合ってるなら、いっぺん観てみようかとは思ってる。ヨーロッパのリーグの方が面白そうな気はするけど、初心者はどこの国のリーグを観るのがいいのかしら。
DAZNの実況さん、バーレーン王家の方がカメラに映ると「金持ちのオーラ」言うのやめなはれ(笑)
さて、次のノーベル平和賞にWFPがノミネートされたんだか受賞確実なんだかとニュースになっていましたが、いよいよノーベル賞の、より正確に言うなら平和賞と文学賞の胡散臭さがはっきり出ましたね。
スウェーデンという、歴史はあっても今ひとつ世界の中では注目を浴びることがない国が、このときだけは主役になれる花舞台なわけで、そこで誰に賞をあげるのかってのは、まあちょっとした話題になる。で、医学や化学といった、成果がはっきりわかるものについては、功績がわかりやすく判定しやすい以上、誰が見てもすげえという人にあげるしかないんだけど、文学賞と平和賞ってのは、何せ文学と平和でしょう。基準が曖昧で、どこに軸足を置くか、それ次第で誰にあげてもよくなってしまう。だから毎年、村上春樹がもらえるかしらだのダメだっただのと言ってますが、ご本人が賢い方であれば、あんなもんもらったところで屁でもないわい、ぐらいにしか考えてないと思いますよ。だって選考基準は完全に、スウェーデンが注目を浴びるという政治的な理由でしかないんだもの。作品に対しての評価じゃない以上、作家だ文士だと言われている方には無礼でしかないでしょう。平和賞についてもそう。純粋に活動内容を評価されているわけではないなら、真面目に世のため人のために立ち働いている人にしてみれば、そんな賞状とかよこす暇があるなら仕事を手伝え。しか言うことないでしょう。もらって喜んでるうちはただの生臭でしかないの。
私、ノーベル賞の専攻のスタンスはこう↑じゃないかと思ってる。なんとかインチキできんのか。
実際、作家がもらって一番嬉しいのは星雲賞だって「くるぐる使い」で星雲賞もらったときにオーケンが言ってた。アレはSF大会で一般参加者に投票してもらって、今年面白いと思った本の投票1位にならないともらえないの。賞金も副賞もない、ただ1位取りましたおめでとう、って賞だけど、実際に本を読んで面白いと思ってくれた人がいっぱいいてくれないともらえないものなので、星雲賞こそ作家にとって一番の勲章ですよね。そりゃあ何より嬉しいよ。
だからね、私、ノーベル賞はそれがどうしたとしか思えないけど、星雲賞とイグ・ノーベル賞はすんごい買ってるの。星雲賞は今書いた理由で、イグ・ノーベル賞は、一見死ぬほどくだらないことを超真面目に研究して、それが実はすごい科学的な発見に満ちてたりするうえ、受賞スピーチをダラダラやらせないのも好感度高い。「8歳の女の子に指摘されると一番こたえる」と言う理由で、持ち時間が来ると「つまんないからお話やめて」って女の子が出てくる。最高か。
大体なあ、平和賞だっていうんなら、存在自体が平和を呼ぶものにあげなさいよ。美女とか小動物とか。
(後ろでうなずく一期一振氏と包丁藤四郎氏)
しまった。
すげえお堅い時事ニュースを語り倒してしまった。もっと気さくに腹抱えて笑えるものを書きたいのに。
もういいよ知らねえよ。今日は帰りにちゃんとローソンでチケット受け取ったからな、あとは実際に美術展観るのみだからな、もういいんだよ。
とりあえず観に行くまで生きて健康を維持するのみだ。あとのことなど知らん。何でもあり。何でもありなのでシロさん貼っとけ。
明日は休みなので、午前中に接骨院だな。忘れるな俺明日は土曜日だ。
バーレーン決勝観ながら亀ゼリー食べて寝よう。
明日はもっとあほたれ全開なことを書こう。
そうそう、私ねえ、正直なところ村上春樹は何が面白いのかさっぱりなのね。