雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

ボーナストラック・それでも日常は動かない

今日は東北の震災があった日。もうあれから10年になるのか。

早いもんだ。

ついったでは「あの日何をしていたのか」が話題になっておりますが、私の場合は、世間の皆様よりだいぶユルッユルなことになっておりました。

まあたまにはこんな話もいいだろう。

 

あの頃、まだ駅売店のネエちゃんやってた頃で、あの仕事は店を閉める遅番と、店を開けて遅番に引き継ぐ早番の、2コマで1勤務で、私は早番の仕事が終わって2時過ぎに帰ってきて、フートン敷いて夕飯まで寝ようと、いつも通りにフートンかぶってさあ寝るか、というところだったんですよ。そうしたらいきなりワッサワサ揺れましてね。その3年ぐらい前だったか、うちは免震住宅に建て替えてたので、大概の地震はあったことすらよくわからん状態なのが、これまでにない揺れかたなもんで、慌てて起きて茶の間に行くと、ちょうど幼稚園から帰ったばかりのパナールちゃんマグダルちゃんがけろっとしている中、マミーと慧那叔母様が大騒ぎでテレビつけてニュースやってる局をザッピング始めて、そうするとすんざまじい映像ばっかりがんがんに流れてくるもんだから、私もさすがにここで、部屋から携帯電話持ってきて、当時はGREEが主戦場だったので、リンク貼ってる仲間に自分の安全を発信しながら安否を確認しておりました。

最初のうちはまだ回線がつながったけど、だんだん連絡が取りづらくなり、仕方なく自分の現状をちまちまと書いてはアップ。

マミーと慧那叔母様は停電がいつくるかと話している中、リンクしてる仲間に某中央官庁にお勤めのお姉さんがいらして、そのツテであっさり情報ゲット。うちはお米の国の施設がすぐ近くにあるので、防犯対策のために何があっても停電しないエリアにあるから、最後の最後までその手のインフラが切れることがないのだそうです。なので大して慌てもせず、仲間との連絡のみに集中しておりました。

幸い、東北に住んでいた数名も含め全員が無事。それだけは本当によかった。

テレビはどのチャンネルに合わせても、終わることない報道特番。SNSはつながらない。その日はそれぐらいしか記憶にないのは、早番明けの疲れのせいというより、たぶん私の性格が、基本的に自分が重要と思っていること以外の出来事に規定されにくいからなのかもしれない。ましてあの当時は、このブログも存在すらしてなかったし、日記をつける習慣なんてなかった。この日からいきなり取ってつけたように記録を残す、なんてことも、動機の不純さが鼻につくからやらない。まあ私にとっては、この当日はさほど印象に残らなかったわけです。

その翌日は、休みなのでほぼ寝てましたね。何も覚えてないところから考えると。

ということで、盛り上がるのはここから。休み明けに出勤すると、まず、地震のあった当日、電車が止まって売り物にならなかった大量の惣菜パンを捨てるよう頼まれました。賞味期限切れてるから、商品として売れないの。それでもその日は、まだ多少電車は動いてたから仕事はあったけど、問題は遅番が終わって、会社の仮眠室に遅番勤務の先輩たちと合流してからだった。

ネットニュースと夜のニュースで計画停電の決定が報道されて、停電ということは電車も動かない可能性が高い。明日仕事になるのか?

案の定、翌朝起きると、電車は運休決定。男子仮眠室に止まっていたあんちゃんが、ちょっといつもより早めに状況を確認しに行ってくれましたが、駅に行くと改札前のシャッターが閉まっていたそうで、上司に連絡すると、店を開けられないので全員帰宅と指示が出ました。

いまだに忘れられない。八王子駅前からバスで多摩川縁まで出て、それだけでまず1時間。そこから更にまっすぐ青梅線の線路にぶつかるまで歩いて、線路沿いをうちへ。一番わかりやすいルートをひたすら歩くしかなく、3時間か。途中でうちへ電話すると、乾電池を買ってくれと頼まれて、その後歩く道中、隣駅のショッピングモールは臨時休業。やっとまともに開いていた地元駅前の酒屋とコンビニでは、すでに電池もインスタント食品も全部嫁に行っておりました。

たぶん、この日に休みが入ってたらやってたかもしれないコレ。

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全員で金出し合って、下駄履きで押しかけたコンビニで倉庫のカップ麺買い占め。

「馬鹿野郎、保存ってもんをちったあ考えろ! 倉庫だ、倉庫に行ってありったけカップラーメンかき集めて来い! 」

あの日歩いた道は、何せど田舎なので大して車も通らず、天気もよくて、多摩川べりはひたすらのどかで、歩くうちにむしろ暑いぐらいになって、しまいにはジャケット脱いで歩いてました。覚えてるのはそれだけ。

あとはお定まりの、どの店に行っても日持ちする食べ物やトイレ紙が飛ぶように売れて空っぽの棚、テレビをつけるといつ終わるとも知れぬ報道特番と公共広告機構のCM、停電により本数がごっそり減った電車。だから仕事は暇。すげえ暇。

これが私の、あの当時の記憶。

 

あれから10年、何が変わったという実感はまるでなく、結局何があろうと現実では世界は終わらないし、どんな天変地異が起ころうと、人間が複数いれば社会はできてしまうし、社会ができてしまうともう変化は起こらない。そういうことを、あのときこの目で見てしまった。

ポスト・アポカリプスものの映画を観てもわかるでしょう。「マッド・マックス フューリー・ロード」も「ザ・ウォーカー」も、世界がどうなろうと、何人かの人間が生きていれば今ある社会システムを残してしまっていた。「アイ・アム・レジェンド」冒頭の15分だけがよかったのは、主人公が(表面上は)社会と切れたスタイルで生活していたから。

結局、大多数の人間は社会がないと生きることに耐えられないし、そんなもんがなくてもやっていける少数派というのは、人間という生物が持つ揺らぎみたいなものでしかないのかもれない。種を存続させるために、本能として持ってる多様性。

 

今日は朝のうちに行った耳鼻科の待合室で、テレビが延々と震災の追悼番組を流しておりましたが、本当はそれじゃダメなのよ。そんな「節目だから」でやるということは、実は普段はどうでもいいと思ってるってことでしょ。そんな時だけとってつけたように振り返っちゃいかんのよ。節目だろうとそうでなかろうと、何かは起きるときゃ起きるし人は死ぬ。そこをどれだけ頭に置いているか。メメント・モリであり「想いは山の彼方に、死は肩の後ろに」なの。

だから、まあ要するに、節目だから振り返るとか、そういうイベント性持たせちゃうのはどうかと思うよ。

 

じゃあお前はどうなのか、と訊かれたら、そうですね、たぶんいきなり事故なり天災なりで死んでも、思うのは「あっやべ」「うはーやっちまったー」ぐらいかもしれない。何せほら、生きてく理由はないけど、死ねない理由ならありますからね。来年の花丸劇場版3部作をこの目で観るまで死ねない。大画面で無用組を観せてくれると信じてる。

 

いかん、なんか柄にもなく過去の記憶とか掘り出したら疲れたな。

掘り出すのは過去ではなく、大阪城地下のコーベインだけでいいんだよ。

見当違いのものを掘ったら疲れたな。明日また仕事なので、薬飲んで寝ます。

鯰尾よ、過去なんか振り返らないというお前の言葉は正しかった。やたらめったら振り返ったところで、疲れるだけだわ。