仕事して帰ったので、出陣して豆撒いてます。
バツ丸君と人間無骨君の練度を上げなくては。
編成はこの2振りに七星剣=サン、近侍・御手杵君と補佐・たぬき君に薬研のトリオ・ロス・極。極じゃない三振りはお守り持たせて、全員金の投豆兵ガン積みで周回しております。
近侍と補佐大喜び。遠足に行く小2男子並みのはしゃぎよう。
もうね、結構な期間、オフタリサンには留守番ばっかりさせちゃってたから、なんかもうイキイキギラギラしております。うちはこうでないと。
明日は出勤が昼前で遅いんだ。いつもどおりの時間に起きて、接骨院に寄ってから仕事に出るつもりでおります。
今日は中央線が信号機トラブルだとかで30分遅れてて、駅のホームの表示板に15分遅れなんてあったので、まあギリギリいけなくはないかな、と思っていたら、西武線に乗り換えるのが無理になったタイミングで「あと20分で到着の予定です」…頭にきたので、それでも早い西武線の次の電車で出勤した。ギリギリで間に合ったものの、あれたぶん20分後の電車を待ってたら間に合わなかったな。
しかも、帰りも人身事故だとかで遅延。西武線で帰ったさ。
とにかくJRは復旧遅すぎるしトラブル多すぎる。
昼の休憩中についった開けたら、限界集落の活性化プロジェクトだかで移住した人が限界だと音をあげて転居したなんてありましたが、無理もないよ。
もともとが、限界を迎えるということは、それなりの理由があるから限界になっている集落な訳ですよ。そこにいきなり都会から正体の知れない「よそ者」が来て住み着いたところで、生活習慣からものの考え方からまるで違うわけで、うまく付き合っていけるわけがないんだよ。
いつだったか、親の介護で田舎に帰ってきたものの、地域で浮き上がって隣近所のジジババ殺したおっさんがいたけど、そのくらいに地縁血縁があっても田舎で暮らすのは無理ゲーなんだから、都会の人間を呼び込むなら、10世帯くらいごっそり同時に呼び込んでいくとか、そういう工夫がないと。「田園に死す」は、あれは本当に田舎のじっとりした殺伐を端的に描き切っちゃってるからな、あの映画を観れば田舎に住みたいとかいうフンワリ甘い夢は消えると思うよ。
「陸奥君とか鶴丸さんとかなら、どこに行ってもあっという間になじんじゃいそうだけどねえ。僕とか大典太さんとかは、ほら、ちょっとシャイだからなかなか難しいと思うよ」
シャイときたか。
「彼らはさ、あれで世話焼きだから、高齢者が農作業や屋根の雪下ろししてるの見ちゃうと、見てられなくて手伝っちゃうだろう。孫みたいにかわいがられちゃうよね」
だよなあ。
うん、やっぱり改めて考えると私はそういう田舎で暮らすとか、やれって言われたとしても無理だな。
「そもそも管理人さん、徒歩圏内に病院があるところじゃないと無理だと思うよ」
なんだと。
いや、そういうことじゃなくて。
まあそういう環境面も大事だけどさ。まずはね、人間が3人になると社会ができちゃうんだよ。人間が2人だけだったら、目の前のひとりとコミュニケーション取れば事足りるけど、そこにもう1人が増えることで、接する態度や会話に要する時間に差をつけちゃうと気まずくなるし、そういうところで気を遣って付き合うことが社会活動の始まりなんだよ。
しかもこの、社会ってやつは、構成する人数が少ないほど鬱陶しい面が如実にあらわれるようになってる。人数が多ければ、私が話を聞けなくても他の誰かのところに行けばいいやとか、そうやって切り替えたり、目先を変えたりすることも簡単だけど、何せ人数が少ないと代替するものがないから、途端に話が面倒になってすぐにこじれる。狭い視野で生きるとろくなことがないんだ。
「管理人さん、明日の仕事の支度はできてるのかな」
お誂え向きにいい実例が。
「何かな藪から棒に」
いいか青江、チョーさんがうちに来た頃を思い出せ。あの頃チョーさんは、まんば君のことしか視野になかっただろう。だからいつも機嫌が悪かったけど、ここで暮らすってことは、100振り近い仲間が常に目の前でワイワイやってる以上、それを無視すると生活そのものが成り立たないわけで、そうなるといやでも付き合いの幅が広がって、「寝ても覚めてもお国」って状態ではいられなくなるんだ。つまり、今までより広い社会で生きるようになる。
「確かに言われてみれば」
「なんの話してるんだい」
視野は広いに越したことはないって話だ。
さて、明日はもう仕方ないとして、あさっては帰りがけにちょっとは買い物できるだろう。あと帰ったら、カメラバッグのインナーの仕上げにかかろう。だが明日は寝る。