雑種犬肉球日記

雑種犬が書いたブログ。

推しに会ってきたので今日は鬱陶しいボリュームの本文になりました

今日はついに行ってきました。推しに会いに。

片道2時間弱、東松山の比企総合研究センターさんで開催してる「槍とふれあう会」にて、私の推してやまぬ結城松平家の家宝・御手杵君に会ってきました。

見て。見てくれ。結城で会った御手杵君もカックイイが、東松山御手杵君もいいだろう。

そして館内はとうらぶまみれ、杵君率激アツ。

会は2時間ちょっとでしたが、前半でまず、所長さんによる杵君の来歴や結城松平のお家の歴史についてのレクチャーがあり、休憩後の後半はこれからスタート。

文字通り触れ合ってきた。

前回参加したのは、あれ何年前だ。これで2回目ですが、やっぱり前回と同じこと思ったね。

ただ穂先を研いでないだけで、普通に槍を作るのと同じ材質で作ってるので、重心が穂先に集中してるんですよ。柄の部分も重いと言えば確かに重いんだけど、それでも穂先ほどではない。このバランスの棒状のものの先に、さらに重い鞘をつけて、あまつさえそのクッソ重いものを、朝から晩まで大名行列で担いで歩き続ける昔の人の体の使い方は、やっぱり現代人のそれとは本質から違うなと。

そして、他の参加者さんがフツーに立ったまま持っている中、腰落として持つ気満々の姿勢の俺。

「姐さんはそれでいい」

え、そうかい? いいのかい杵君、こんな管理人さんで。

「面白いからいいんじゃね? 」

今日ももち義体でついてきていた近侍と補佐ですが、なんか近侍はホコホコした曖昧な微笑みで私を見ていた、ような気がする。

所長さんのレクチャーの中で、空襲で焼けた後の杵君についてちょっとお話がありまして、どうも松平家の家臣の誰かが、焼けちゃった杵君を専門家のところに持ち込んで再刃できないか相談したら「無理」と言われた、ところまでは杵君の消息は確認できるものの、それ以降どうなったのか行方不明だそうで、もしかしたら家臣の人の家のどこかで寝てるのかも知れず、何かで不意にぽろっと出る可能性もまるでない、とは言い切れない。

うん、出よう。ちょっと出ておこうか杵君。なあ。

「そればっかりはなあ。俺の口からはなんとも」

それともう一つ、杵君のこの、独特の姿ですよ。

蜻蛉ちゃんは、穂先が槍の中では割と長めだけど、それでも15センチ凸凹。日本号ももうちょっと穂先は長いけど、このオフタリサンは穂先が平べったい、まあ日本で槍だというとまず思い浮かぶスタイルですが、杵君のこの姿は、おいどんは己の道を行くゴワスとだけ言うにはあまりあるオリジナリティ。穂先の長さも規格外なら、この三角錐の構造はもう、独自という言葉で片付けるには無理があるだろう。

所長さんもその点が気になって、いろいろ調べられたところが、行き当たったのが阿仁マタギの熊猟で使う槍。穂先はもう少し小さいそうですが、熊を落とし穴に落として、上から三角錐の槍で突いて殺すと言う狩猟法があったそうです。

この阿仁という地名も、そういえば日本語の語彙としてはあまり出てきにくい語感だと引っかかって更に辿ったところが、どうもアイヌ語圏ではないかと思われる。で、阿仁マタギのそもそもの始まりが、他所から来た人物が狩猟法を伝えて、村長が娘を嫁がせたその子供たちから阿仁マタギが始まったとかで、穴掘って獲物落として上から突き殺すなんてのも、そう考えるとアイヌの知恵の香りを感じる。

で、熊となると、この鞘ですよ。

他の動物の皮を使ったっていいし、何なら革張りじゃなくたっていいんですよ。にもかかわらず熊革。そして杵型。この、杵型にしようという発想も、御手杵という名前も、いつどこで誰が思いついたものかも判然としない。記録も残っていないそうです。

そんなお話を聴きながら、ぼんやりと思い浮かんだのが山の民でした。

なんで五条義助はこの独特過ぎる姿の槍を打とうと思ったのか? こんな形状の、それも槍というスタイルという案を、どこから着想したのか? 鞘に熊の毛皮を使おうというアイディアはどこから来たのか?

アイヌと阿仁マタギのつながりは何となくだけど推し量れた。五条義助御手杵というワンアンドオンリーの姿の槍を打ったのは事実。じゃあ両者をつなげうるものは何なのか?

山の民。サンカとも呼ばれる彼らは山から降りることはなく、山脈伝いに日本中を渡り歩き、水脈鉱脈の知識に精通していた。山で暮らすなら狩猟のこと、山の生物のことも詳しかろうし、それならマタギとも交流があってもおかしくない。一方で、刀鍛冶は玉鋼がないとお話にならないから、鉄鋼の鉱脈の情報を得るには、山の民の知識に頼ることがあってもおかしくない。

もうこうなると歴史のifでしかないけど、五条義助が山の民とのコネクションを持っていて、そこから遠く離れた阿仁のマタギの猟法について聞いていたとしたら? 

そもそもが、誰の注文で作られたのかすら判然としない御手杵という槍は、まあこの形状ですから、他の槍や刀とは比べ物にならないほどふんだんに玉鋼を使用していますが、こんな桁外れに資材を必要とする構造のものを作らせることができる人間なんて、時代を考えると限られてくるわけですよ。そういう注文に、この形状の槍を持って行くストロングスタイル。しびれるな!

 

今日は他にも、昭和初期に開催された美術展に、他の刀剣類と一緒に御手杵君が展示されていた際の目録や当時のカタログなど、貴重な文献も拝見し、いい目の正月でした。ありがとうございますこれでしばらく生きていけます。

「なに今にも召される奴みてえな、辛気臭えこと言ってんだ姐御」

「姐さんは病にやられはするかもしれないけど、人間が殺しても死なないだろうから、もうちょっとしぶとさ演出していかないと」

君らはなにしてるんだね。そんなところで。義体をエンジョイしすぎだろ。

 

ということで、もうね、私の推しは一つ判明すると奥からもう一つ謎があらわれる、やたらと奥行きのでかい槍だという事実が判明しました。

「ミステリアスな男はモテるっていうし」

なにカッコつけてるん。てゆうか、うっかりモテても大変だよ。寄ってきた女子の中に「あんたを殺してうちも死ぬ」女子がいたら大変だからね。

「うえー…」

「変な色気は出すなってことだな」

まあそういうこと。

で、最後にグッズもちょっと買ってきた。クリアファイルと、ヘアピンかわいかったのでそれも一緒に。杵君の来歴やその周辺についての研究をまとめた冊子は、前に参加したときに買ったのでもう持っているのであった。

 

そして終了後、外に出ればあまりの蒸し暑さに、会場の斜向かいの甘味処に吸われる私。

水分と糖をとって帰ってきました。

こうして見ると結構な移動距離。

さて、明日からの1週間はめっさハードですが、これでしばらく生きていける。

槍とふれあう会でいただいたおマンヂウをいただくとしよう。

ちょっとお茶持ってくるか。