連休が終わりましたね。
まあ私は仕事してましたが。
明日は休みなので、もう酒の支度して、DVD観ながら打鍵しています。なんでもいいからPCのスロットに入ってるもん観ようと思ったら、この間観た「Avalon」がそのままになってました。今夜は押井守祭。
夏というと戦争の記憶を振り返るテレビ番組が激増するけど、戦争の悲惨さなんて、特攻隊ばっかり見てても意味ないよ。
個人的な見解をいうと、京極夏彦先生と保阪正康氏の対談を読んでから、江戸川乱歩の「芋虫」と水木しげる大先生の従軍体験記を読んで「この世界の片隅に」を観て原作を読む。で、最後にサリンジャーを読む。「フラニーとゾーイ」だったか「ナイン・ストーリーズ」だったか、戦争に行ってたボーイフレンドがクリスマスに休みもらって帰ってくる、なんて言ってるシーンがあって、同じ太平洋戦争なのに、片や食うものも満足に食えずに悲壮感たっぷりに戦っていて、その相手は日常エンジョイしながら鼻毛で戦争してるんですから。初めて読んだときには愕然としましたよ。戦後の国内事情なども比較するなら、スティーブン・キング原作の「スタンド・バイ・ミー」は50年代、主人公が被爆し焼け野原から裸一貫のし上がって行く「はだしのゲン」は戦中戦後、保阪正康氏のルポ「真説 光クラブ事件」は終戦直後と、これはちょっと年代に開きはあるものの、日米それぞれのお国柄やその他諸々あれど、体感というか皮膚感覚というか、そういうところで考えることができるのじゃないかと。終わった後で、一般の市民たちは戦争をどう捉えていたのか。どう折り合いをつけていたのか。そもそも折り合いなんてつける必要もない程度のものだったのか。もっと重大なものだったのか。
そこまで考慮に入れて話をしないと、見世物感覚で「特攻隊の若者ガバイゾー」で終わってしまう。
同じ戦争の悲惨さを語るなら、大陸で一生癒えないトラウマ背負わされた人たちについても、触れないと嘘だと思ってます。先にあげた京極・保阪両氏の対談は衝撃ですよ。人間、恐怖の底を見ると、その体験は何をしても忘れられない。逃げたくても、その地獄は自分の脳の中にある。
ああ、しまった。
うっかり真面目な話をしてしまった。
軌道修正せねば。
よし、思い切りあほたれな画像でも貼るか。
秘技・はせつ観光大使。
まだ中和しきれてないな。
カメラ目線で教え子につく虫を牽制。
若者にシューイを強要。
…これでだいぶあほたれな感じになったな。よし。
やっぱりね、戦争、あれはダメな。
飯を腹一杯食えないもの。食えないのはね、ダメ。
ごはんを食べないとおなかがすくんだぞ。おなかがすいたらおこりっぽくなるじゃないか。おこりっぽくなったら胃が悪くなるんだぞ。胃が悪くなったらごはんを食べられないじゃないか。ごはんを食べないとおなかがすくんだぞ(学ランに下駄で)
これで相当なまぬけ時空になったな。よし。安心して一杯やれる。
明日もまた、8割がたゆるんだパンツのゴムぐらいユルッユルにいくのでよろしくメカドック。
さて呑むか。